源仲政 (MINAMOTO no Nakamasa)
源仲政(みなもと の なかまさ、生没年未詳)は平安時代末期の武将・歌人。
摂津源氏の源頼綱の次男。
母は小一条院の女房・中納言局。
従四位下。
著名な源頼政の父にあたる。
兄の源明国が父・頼綱の号である「多田」を継承したのに対し、仲政は「馬場」を号としたため「馬場仲政(ばば・の・なかまさ)」ともいう。
また、史料によっては仲正とも表記されることもある。
白河院・鳥羽天皇に仕え、検非違使、皇后宮大進、兵庫頭、また下総国、下野国の国司などを歴任。
元永・保安 (元号)年間(1118年-1124年)には、西国で朝廷に背いて追討を受けていた源義親を自称する者が出現した。
仲政は、これを捕らえるという勲功を上げている。
また父と同様に歌人としても名を顕し、家集として「蓬屋集」がある(現存はせず)。
和歌の道を通して源俊頼、藤原為忠、藤原俊忠、藤原俊成、藤原家成などといった中級貴族と親交が厚く、また摂政藤原師通の歌合にも招かれている。
その詠歌は藤原為忠の家集「丹後守為忠朝臣家百首」などに多く収録されている。
保延年間(1135年-1142年)に家督を頼政に譲って引退したと見られる。
後代、馬場信春や池田輝政といった武将が仲政の後裔と伝えている。