源具親 (MINAMOTO no Tomochika)

源 具親(みなもと の ともちか、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の官人・歌人。
村上源氏源俊房流。
正五位下京職源師光の次男。
母は巨勢宗成女(後白河院安芸)。
同母姉妹に後鳥羽院宮内卿がいる。
近衛府九条良輔(九条兼実の子)の養子となる。
妻は北条重時女。
子に源輔通・源輔時がいる。
小野宮少将と呼ばれた。
新三十六歌仙の1人。

建仁元年(1201年)左兵衛佐になり、同年7月和歌所寄人になる。
元久2年(1205年)従四位下左近少将になる。
天福 (日本)元年(1233年)8月以前に出家しており、法名は如舜といった。
弘長2年(1262年)『三十六人大歌合』に「如舜」の名で出詠しているが、このときは80余歳の高齢だったという。

後鳥羽天皇院政下で活躍した歌人の1人で、「正治後度百首」「千五百番歌合」及び「最勝四天王院障子和歌」(1207年)などの数多くの歌合に出詠。
『新古今和歌集』以下の6代の勅撰和歌集に21首の和歌が入集している。

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