源師俊 (MINAMOTO no Morotoshi)
源 師俊(みなもと の もろとし、承暦4年(1080年) - 永治元年12月7日 (旧暦)(1142年1月5日))は、平安時代後期の公卿・歌人。
村上源氏。
堀河左大臣源俊房の三男。
叔父の壬生大納言源師忠の養子になる。
従三位・権中納言。
初め俊仲と名乗るが、後に師俊と改名した。
弾正台、兵部省、民部省などを経て、長承2年(1133年)参議に任ぜられ、長承3年(1134年)4月従三位に叙せられる。
保延元年(1135年)権中納言に任ぜられるが、翌年5月13日病のため出家した。
永治元年(1141年)12月7日、62歳で薨去した。
元永元年(1118年)10月2日の「内大臣忠通歌合」などに参加するなど歌人として活発に活動していたらしく、『金葉和歌集』以下の勅撰和歌集に11首入集している。
漢詩にも優れていたとされるが、現在伝わっているのは『和漢兼作集』の2篇のみである。