源常 (MINAMOTO no Tokiwa)
源 常(みなもと の ときわ、弘仁3年(812年) - 斉衡元年6月13日 (旧暦)(854年7月15日))は平安時代前期の公卿。
父は嵯峨天皇、母は飯高氏。
弘仁5年(814年)、源信 (公卿)・源弘とともに源朝臣姓を賜り、左京一条坊に貫付せられた。
父である天皇は、常の「操行深沈、風神静爽」なのを見て、特に寵愛したと言う。
天長5年(828年)17歳で従四位下、兵部卿に直叙され同八年従三位、翌年参議を経ずに中納言に昇進した。
21歳の若さであった。
その後、正三位で左近衛大将を兼ね、承和 (日本)5年(838年)に大納言、同七年に右大臣・東宮傅、十一年には左大臣と順調に昇っていった。
その後10年にあまりにわたって政治の首班にあり兄弟の源信 (公卿)・源定・源弘とともに一大政治勢力をなした。
嘉祥3年(850年)に正二位となる。
常は「容儀閑雅、言論和順」であり、人材を見抜くのに優れ才能の士を推引し、讒侫の徒を遠ざけ、「丞相の器」と評された。
承和7年(841年)には藤原緒嗣らと『日本後紀』を完成させている。