源経仲 (MINAMOTO no Tsunenaka)
源経仲(みなもとのつねなか、生没年不詳)は、平安時代後期の官人・歌人。
醍醐源氏の正二位権中納言源経房の養子。
実父は小野宮流藤原氏の正二位権中納言藤原経通(藤原懐平の子)。
母は源高雅女。
子に源俊兼・源経兼・源仲季らがいる。
承暦元年(1077年)9月24日時点で前衛門府だったが、同年10月3日に出雲国に任ぜられる。
同年11月、任地出雲で名所歌合を主催。
寛治5年(1091年)8月、皇后宮職在任中に藤原宗通家歌合に参加。
永長元年(1096年)5月、皇太后宮権亮在任中に藤原能実家歌合に参加し、同月に源師時家歌合の判者となっている。
没年は不詳だが、少なくとも康和5年(1103年)時点では高齢ながら生存していた。