源雅通 (MINAMOTO no Masamichi)

源 雅通(みなもと の まさみち、元永元年(1118年) - 承安 (日本)5年2月27日 (旧暦)(1175年3月21日))は平安後期の公卿。

権大納言源顕通の長男。
母は、権大納言源能俊の女。
久我内大臣と号す。
子に雅縁・明雅・源通親・雅平・通望・源通資・藤原実守室らがいた。

幼少時に父を失い、叔父の右大臣源雅定の養嗣子となる。
近江国権介・皇后宮権亮・蔵人頭・備後国権守などを歴任し、久寿2年(1155年)大嘗会国司賞として従三位となり。
また奨学院別当・検非違使別当などをも務めた。
正二位内大臣まで昇進したが、嘉応元年(1169年)以降病気になり、承安5年(1175年)に久我別荘にて薨去した。
58歳だった。

[English Translation]