源頼信 (MINAMOTO no Yorinobu)

源 頼信(みなもと の よりのぶ)は、平安時代中期の武将。
摂津国多田(現・兵庫県川西市多田)の地に源氏武士団を形成した源満仲(多田満仲、多田新発意)の三男。
河内国石川郡 (大阪府)壺井(現・大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とする河内源氏の祖。

略歴

兄・頼光と同じく摂政関白の藤原道兼に仕える。
道兼の死後は藤原道長に仕える。
諸国の受領や鎮守府将軍などを歴任する。
河内国に土着して石川郡に壺井荘を拓き、香炉峰の館を建てる。

甲斐国守在任時に平忠常の乱を平定する。
それにより、その後の河内源氏の東国進出の第一歩を記す。
武勇に優れ、平維衡・平致頼・藤原保昌らと藤原道長の四天王、或いは四天王と称された。

それまで四年間、平直方と争っていた平忠常があっさり降伏したのは、それ以前に頼信との間で主従関係になっていたためと思われる。

この乱の後、坂東の武士たちは河内源氏と主従関係を結ぶようになる。
後の東国支配と武家源氏の主流となる礎を築いた。

墓は、大阪府羽曳野市の河内源氏の菩提寺の通法寺跡に、頼義、義家と共にある。

官歴

※日付=旧暦
987年(寛和3年)2月19日、左兵衛少尉に任官。

999年(長保元年)9月2日、上野介に任官。

1001年(長保3年)2月26日、上野介を退任か?
1012年(長和元年)、時に前常陸介(御堂関白記閏10月23日条)
1023年(治安 (日本)3年)8月、鎮守府将軍に任官。

1028年(長元元年)、時に前伊勢守(左経記6月21日条)
1029年(長元2年)、甲斐守に任官。

1031年(長元4年)1月6日、従四位下に昇叙し、甲斐守如元。

1032年(長元5年)2月8日、美濃守に遷任。

1036年(長元9年)10月14日、相模守に遷任。

1047年(永承2年)、従四位上に昇叙し、河内守に任官。

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