滝川具挙 (TAKIGAWA Tomoaki)
滝川具挙(たきがわ ともあき、生没年不詳)とは、江戸時代の幕臣。
官位は播磨国。
滝川三郎四郎の子。
一族には織田信長の重臣で関東管領滝川一益がいる。
外国奉行や京都町奉行を務めた後、1864年(元治元年)大目付に就任する。
天狗党の乱には厳しい対処をする。
1867年(慶応3年)、徳川慶喜の無罪を訴え薩摩藩を訴える討薩表を持ち旧幕府軍の先鋒を率い京都に向かう途中、鳥羽 (洛外)の関所を守る薩摩藩士椎原小弥太と問答の末、薩摩藩陣地から発砲される。
この発砲の瞬間から鳥羽伏見の戦いが始まったと言われる。
具挙は敗走しその後淀城に逃げ込み幕府軍の指揮をとるが破れまた敗走。
この敗戦の責任をとらされ免職された。
その後の消息はよく分かっていない。