澤為量 (SAWA Tamekazu)

澤 為量(さわ ためかず、1812年(文化 (元号)9年) - 1889年(明治22年))は幕末・明治初期の公卿。
官位は参議・外務卿位階子爵。

来歴

父は治部省・澤量行朝臣。
文政4年(1821年)、位階。
文政8年(1825年)、元服して正五位下武蔵兼介。
嘉永元年、従三位。
文政天保10年(1836年)、従四位上民部省。
嘉永元年、正三位。
安政2年(1855年)、従二位。

安政5年、養子の澤宣嘉とともに廷臣八十八卿列参事件に加わり、日米修好通商条約勅許に反対。
その後は病弱のため、公職から退いた。

戊辰戦争では、明治元年2月に奥羽鎮撫使総督に挙げられ、ついで九条道孝の総督就任とともに副総督となって出陣した。
奥羽各地を転戦して10月凱旋する。
明治2年6月、軍功により賞典禄200石を永世下賜された。
同年8月宮内権大丞に任ぜられたが、明治3年11月に退官して宣嘉に家督を譲った。
しかし明治6年9月、宣嘉の薨去により再度家督を継承し、明治16年9月特旨をもって従二位に叙せられた。

明治17年7月7日、華族令により子爵。
明治22年薨去。
死に先立って正二位に叙せられた。
澤家は後に伯爵に陞爵する。

備考

沢家の遠祖は、天武天皇皇子舎人親王という。

[English Translation]