甘露寺経元 (KANROJI Tsunemoto)
甘露寺 経元(かんろじ つねもと、天文 (元号)4年(1535年) - 天正13年5月8日 (旧暦)(1585年6月5日))は、室町時代から安土桃山時代にかけての公家(公卿)。
堂上家(家格は、名家 (公家)、藤原北家高藤流勧修寺嫡流)である甘露寺家の27代当主。
経歴
非参議・下冷泉為豊の次男。
権大納言・甘露寺伊長の養子。
実子に祭主・藤波慶忠の室。
養子に、蔵人頭右中弁・甘露寺経遠(実は准大臣・勧修寺晴豊の次男)。
元亀元年(1570年)、参議。
極官極位は正二位・権大納言。
天正10年(1582年)6月1日(本能寺の変前日)、准大臣・勧修寺晴豊と共に、正親町天皇と誠仁親王の勅使として、織田信長の上洛を祝うために本能寺に出かけている。