甘露寺豊長 (KANROJI Toyonaga)
甘露寺 豊長(かんろじ とよなが、天正18年(1590年) - 慶長11年(1606年))は、安土桃山時代から江戸時代にかけての公家。
堂上家(名家 (公家)、藤原北家高藤流勧修寺嫡流)である、甘露寺家の29代目当主。
経歴
権中納言・正親町三条公仲の三男で、蔵人頭右中弁・甘露寺経遠の養子。
養子に右大弁・甘露寺時長(正親町三条公仲の子・正親町三条貞秀の子)など。
官途は、従五位上・右兵衛佐。
甘露寺 豊長(かんろじ とよなが、天正18年(1590年) - 慶長11年(1606年))は、安土桃山時代から江戸時代にかけての公家。
堂上家(名家 (公家)、藤原北家高藤流勧修寺嫡流)である、甘露寺家の29代目当主。
経歴
権中納言・正親町三条公仲の三男で、蔵人頭右中弁・甘露寺経遠の養子。
養子に右大弁・甘露寺時長(正親町三条公仲の子・正親町三条貞秀の子)など。
官途は、従五位上・右兵衛佐。