石川元光 (ISHIKAWA Motomitsu)
石川 元光(いしかわ もとみつ、生年不詳 - 康和元年9月8日 (旧暦)(1099年9月24日))は、平安時代後期の武将。
大和源氏の流れを汲む陸奥石川氏3代目当主。
源有光の三男。
子に、石川光忠、石川光義、石川季康、石川政光、石川忠重、石川義基。
従四位下治部大輔、従四位上大膳大夫。
夫人は下野国薬師寺 (下野市)城主舘野将文の娘。
基光と改名するが、父有光の隠居によって第3代当主となり従四位下治部大輔に任ぜられたことで元光の名に復す。
寛治元年(1087年)、源義家が清原武衡を攻めると、兵を率いて参陣して出羽国金沢柵を攻める。
その時の軍功により、田川郡 (羽前国)を与えられる。
嘉保2年(1095年)、一族とともに上洛して自らは従四位上大膳大夫、
異母兄・大寺光祐は従五位下遠江守、弟・矢吹光孚は従五位下下野守、奈目津光房は従五位下石見守にそれぞれ任じられる。