祇園女御 (Gion no nyogo (Gion consort))
祇園女御(ぎおんのにょうご 生没年未詳)は白河法皇の晩年の寵妃。
源仲宗の妻、その子源惟清の妻、宮廷仕えの女房と諸説があるが、氏素性は未詳。
女御の宣旨は下されなかったが、居住地にちなんで祇園女御、または白河殿と呼ばれた。
長治2年(1105年)祇園社の南東に堂を建立して、丈六阿弥陀仏を安置し金銀珠玉で飾り立てるなど「天下美麗過差」の様は人々の耳目を驚かせたという(『中右記』)。
身辺には平正盛が早くから仕えていて、天永4年(1113年)10月1日に正盛が建立した六波羅蜜堂で一切経供養を行っている。
藤原璋子(崇徳天皇・後白河天皇の生母、藤原璋子)を養女としていた。
太上法皇崩御の際は、他の女房らと素服を賜った。
『古事談』には、祇園女御の食事に鮮鳥を差し出すことを平忠盛に命じられた加藤大夫成家が、主人からの処罰を逃れるためにあえて白河天皇の殺生禁断令を破った話が伝えられている。
祇園女御は、妹の子である平清盛を猶子にしたとされる。
清盛が通常の尉ではなく兵衛府に任官されたのも、祇園女御の後押しがあったためといわれる。