福井端隠 (FUKUI Tanin)

福井端隠(ふくい たんいん、男性、享和元年9月1日 (旧暦)(1801年10月8日) - 明治18年(1885年)8月22日)は、幕末から明治の日本の篆刻家である。

名ははじめ武煕、福井氏を継承してから末影と改名。
字は孔影、端隠は号 (称号)で他に凹隅・雨洗・緑雪書屋などがある。
通称は帯刀。
伊勢の人。

略伝
榎倉勘解由武繁の次男として伊勢上中ノ郷(現在三重県伊勢市)に生まれた。
正四位下伊勢神宮神職職階に至った。
下久保に住み、のちに為田に移った。
小俣蠖庵に就いて書画・篆刻を学ぶ。
印聖高芙蓉の日本の篆刻史の篆刻を宗として一家を成し、大和古印体も得意とした。
また、茶道にも詳しく千宗室に入門した後、藪内紹智について藪内流を究めた。

門弟に山田寒山・松木松年・山本釣青・上部紅於・田中成章・江川閑雲・田代閑松・桧垣梅坡・川崎渓雲・河村雨竹・北川橘園などがいる。

享年85。
墓所は新町裏(現在伊賀市上野新町)になる。

子息の福井水琴も篆刻をよくしたが、若くして亡くなった。

[English Translation]