秦友足 (HADA no Tomotari)
秦友足(はだのともたり、生年不明 - 天武天皇元年7月9日(672年8月7日))は、日本の飛鳥時代の人物である。
旧仮名遣いでの読みは同じ。
姓(カバネ)はなし。
672年の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)側について戦い、鳥籠山で敗れて殺された。
秦友足についての史料は、鳥籠山の戦いについて記した『日本書紀』中の一文しかない。
そこには「男依らが近江の将秦友足を鳥籠山で討ち、これを斬った」とある。
村国男依らが率いる大海人皇子(天武天皇)側の軍は、数万の兵力でこのとき琵琶湖東岸を西進していた。
これに対して大友皇子側(近江側)も数万の兵を向かわせたが、7月7日に息長の横河で会戦して敗れた。
鳥籠の戦いはその2日後である。
この頃の近江軍は指揮系統が混乱していた。
書紀の表現では秦友足がこの戦いの総指揮官と読めるが、確実ではない。
鳥籠は犬上郡にあるので、鳥籠山は犬上郡と坂田郡との境界付近の丘陵にあたるとされるが、具体的にどの山かについては諸説ある。