脇坂安信 (WAKISAKA Yasunobu)
脇坂 安信(わきさか やすのぶ、生年不詳 - 寛永14年4月1日 (旧暦)(1637年5月24日))は、江戸時代初期の大名。
脇坂安治の三男。
主水正。
兄に脇坂安元がいる。
子に脇坂安英、脇坂安正、脇坂安長、娘(池田長純室)がいる。
徳川氏に仕えて大坂の陣では、酒井忠世と協力して武功を挙げた。
このことから美濃国内に1万石を与えられ、諸侯に列した。
安信は自分の娘を鳥取藩主の池田長幸の次男・池田長純に嫁がせていた。
寛永9年(1632年)4月、長幸が病に倒れた。
このとき長幸は遺言として、長男の池田長常と次男の長純にそれぞれ領地を半分ずつ相続させようとした。
同月4日、安信はそれに不満を持って弟の脇坂安経と共に長幸のもとに赴いて抗議した。
しかし長幸の弟・池田長頼と口論から刃傷事件に及んで安経は殺され、自分自身も重傷を負ってしまった。
そして、この不始末が幕府にも聞こえて、同月7日に改易処分となった。
その後、寛永14年(1637年)に死去した。