脇坂安坦 (WAKISAKA Yasuhira)
脇坂 安坦(わきさか やすひら、文化 (元号)10年10月8日 (旧暦)(1813年10月31日) - 天保10年2月9日 (旧暦)(1839年3月23日))は播磨国龍野藩の世嗣。
第8代藩主・脇坂安董の次男。
母は松平定休の娘。
正室は松平斉孝の娘、継室は前田利幹の娘。
官位は従五位下、淡路国守。
安董の次男として生まれたが、正室の子だったため兄・脇坂安宅を差し置いて嫡子となった。
しかし、家督を相続することなく天保10年(1839年)に27歳で早世した。
代わって、兄・安宅が嫡子となった。