膳部菩岐々美郎女 (KASHIWADE no Hokikimi no Iratsume)
膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ 生年不詳 - 推古天皇30年2月21日 (旧暦)(622年4月7日))は飛鳥時代の女性。
聖徳太子の妃。
膳大娘(女)、高橋妃などとも書かれる。
出自
6世紀から7世紀に伴造として活躍した豪族膳氏の出身で、膳傾子(加多夫子とも、かしわでのおみかたぶこ)の娘。
妹に聖徳太子の弟来目皇子の夫人となった膳比里古郎女がいる。
経歴
推古天皇6年(598年)聖徳太子の妃となる。
四男四女を生んだが、そのうちの舂米女王(つきしねのひめみこ)は異母兄である山背大兄王の妃となった。
聖徳太子には信頼され、太子は「死後は共に埋葬されよう」と言ったと伝えられる。
推古天皇30年(622年)聖徳太子と共に病となり、太子が亡くなる前日(旧暦2月21日)に没した。
聖徳太子の墓所である磯長陵(しながりょう)に合葬された。