花井お梅 (HANAI Oume)
花井 お梅(はない おうめ、文久3年(1863年) - 大正5年(1916年)12月14日)は、明治・大正時代の毒婦、および彼女とその殺人事件をモデルとした映画のタイトル、登場人物の名称である。
来歴・人物
もと新橋 (東京都港区)芸者秀吉。
後に浜町河岸に待合「酔月楼」を開いた。
雇人の八杉峯三郎こと箱屋峯吉の奸策により実父との間に風波が絶えなかった。
これを憎むあまり、24歳の明治20年(1887年)6月9日、大川端で峯吉を惨殺した。
同年11月、無期徒刑に処せられた。
40歳の明治36年(1903年)、特赦に浴し出獄、寄席の高座や舞台に立って自らの経歴を演じた。
「箱屋殺し」の事件は、世間に喧伝され、『月梅薫朧夜』(1888年・明治21年4月、中村座、河竹黙阿弥)など歌舞伎に、また『仮名屋小梅』(伊原青々園の小説の脚色)など新派劇にも脚色された。
『月梅薫朧夜』は、梅月のお粂(尾上菊五郎)は芸者時代から深い仲の情人深見丹次郎のためを思って別れ話を決めいっそ死んでしまおうとやけ酒をしたたかあおって大川端へかかると、かねて100両の金を横領された箱屋の兼吉(尾上松助)が口説きかかるので、かっとしておもわず男を殺し、久松警察署へ自首して出るというあらすじ。
1916年(大正5年)に死去。
53歳没。
フィルモグラフィ
お梅の没後、毒婦ものは好まれ、映画化された。