花山院定雅 (KAZANIN Sadamasa)
花山院 定雅(かざんいん さだまさ、建保6年12月2日 (旧暦)(1218年12月21日) - 永仁2年2月30日 (旧暦)(1294年3月28日))は鎌倉時代の公卿。
花山院忠経の三男。
母は葉室宗行女(あるいは一条能保女)。
弟に花山院師継がいる。
号は粟田口入道右大臣、または後花山院。
正二位、右大臣、内大臣、大納言。
子に花山院通雅、花山院定教 (権大納言)、花山院長雅らがいる。
経歴
建保6年(1218年)に花山院忠経の三男として生まれる。
文暦元年(1234年)に参議となる。
建長4年(1252年)に内大臣となる。
同年に右大臣(1252年 - 1254年)となる。
康元元年(1256年)11月27日 (旧暦)に出家。
永仁2年(1294年)に死去。