花山院家定 (KAZANIN Iesada)
花山院 家定(かざんいん いえさだ、弘安6年7月2日 (旧暦)(1283年7月27日) - 興国3年/康永元年4月28日 (旧暦)(1342年6月2日))は、鎌倉時代後期の公卿。
伏見天皇(92代)から後醍醐天皇(96代)にいたる五帝にわたって仕え、官位は従一位右大臣まで昇った。
父は権大納言花山院家教。
子に花山院良定・花山院経定・花山院長定がいる。
弘安8年(1285年)に叙爵。
以降累進して、侍従・左近衛中将・右近衛中将・春宮権亮を経て、正応4年(1291年)には従三位となり、公卿に列する。
その後、参議・権中納言をへて、嘉元3年(1305年)権大納言に任じられる。
正和4年(1315年)右近衛大将に任じられ、文保2年(1318年)右大臣に任じられる。
右近衛大将を辞職する。
元応元年(1319年)従一位に進む。
また右大臣を辞職。
元亨3年(1323年)に41歳で出家して政界を引退した。
以降は金光院入道と称された。