荷田在満 (KADA no Arimaro)
荷田在満(かだ の ありまろ、宝永3年(1706年) - 寛延4年8月4日 (旧暦)(1751年9月23日))は、江戸時代中期の国学者。
父は荷田春満の弟羽倉高惟で、春満の養子となった。
通称は東之進。
字は持之。
号は仁良斎。
生れは山城国紀伊郡。
1728年(享保13年)江戸に出て有職故実について幕府の下問に答え、その後御三卿の一人田安宗武に仕えた。
1739年(元文4年)『大嘗会便蒙』(だいじょうえべんもう)を出版したが、朝廷の秘儀を公開した罪で筆禍をこうむり、100日間の閉門に処せられた。
著書に有職故実関係の『令三弁』『装束色彙』や、『国歌八論』『白猿物語』がある。