葛山武八郎 (KAZURAYAMA Takehachiro)
葛山 武八郎(かづらやま たけはちろう、生年不詳 - 元治元年9月6日 (旧暦)(1864年10月6日))は、新選組伍長。
会津藩出身。
新選組加入前は、虚無僧をしていたといわれる。
池田屋事件の際に果敢に働き、不逞浪士取締り活動の報奨金17両を江戸幕府(京都守護職松平容保)より拝領した。
また、局長近藤勇の家臣ではないとして、近藤の非行・増長を5箇条に纏めた建白書を隊長の永倉新八、原田左之助、斉藤一、伍長の島田魁、葛山、諸士調役の尾関雅次郎らが綴り会津藩に提出。
その後、容保の取り計らいにより近藤との和解となったが、葛山は切腹をした。
葛山が、最後まで頑強に抗議したための憤死とも、反発への見せしめのために3人の軽輩者の内、年長者で従順な島田や、尾関ではなく、血の気の多く首脳陣に怖じない葛山に責任を負わせて手打ちにしたともいわれている。
フィクション
新選組! では、近江国の浪人だった所を山南敬助に拾われるが、山南の命令で永倉新八の新選組脱退の望書を書いたとして、切腹させられる。