藤原保忠 (FUJIWARA no Yasutada)
藤原保忠(ふじわらのやすただ、寛平2年(890年) - 承平 (日本)6年7月14日 (旧暦)(936年8月3日))は平安時代前・中期の公卿。
藤原時平の長男。
兄弟に藤原顕忠、藤原敦忠がいる。
正三位。
八条大納言と号した。
笙の名手だったが、父時平の早世で藤原氏の嫡流が叔父の藤原忠平に移ったため、大納言に出世したのは930年(延長 (日本)8年)12月の事であり、忠平や従兄弟の藤原実頼、藤原師輔に比べやや遅れた。
右大将も兼任したが、一生の大半を父に讒言され、大宰府に左遷された菅原道真の怨霊に怯えながら過ごす事となる。
保忠が病床に伏せ、祈祷のため僧侶に薬師如来の読経をさせた途中、金毘羅の名前が出た事を聞いた途端に発狂し(近衛大将である自分を縊るのだと思ったという)、まもなく絶命した(『大鏡』)。