藤原保成 (FUJIWARA no Yasunari)

藤原 保成(ふじわら の やすなり、生没年未詳)は平安時代末期の廷臣。
参議藤原家保の子。
兄弟に藤原家成(中納言、四条家祖)、藤原家長らがある。
従四位下、蔵人、美濃国守。

崇徳天皇の乳母子であった関係からその傍に仕え、新院判官代と呼ばれる。
大治 (日本)2年(1127年)に蔵人、久安2年(1146年)には正五位下に叙され、その後従四位下(あるいは正四位下)まで進む。
しかし、保元元年(1156年)の保元の乱に際し、崇徳上皇方に参加。
敗戦後、配所に赴く上皇が仁和寺を出立する際に保成の車を使用したことが、『保元物語』に見える。
ただし保成自身については、戦後の処罰を含め、その後の動静は不明である。

[English Translation]