藤原光子 (FUJIWARA no Mitsuko)
藤原 光子(ふじわら の みつこ、康平3年(1060年) - 保安 (元号)2年4月16日 (旧暦)(1121年5月4日))は、平安時代後期の女官。
但馬国守藤原隆方の娘で、藤原為房の姉妹。
藤原公実の側妾となり、藤原通季、僧仁実、藤原実能、僧覚源、藤原公子、藤原実子、藤原璋子(待賢門院)をはじめ8人の子女を産んだ。
堀河天皇、鳥羽天皇の乳母。
寛治元年(1087年)、堀河天皇の乳母として典侍となり「中納言典侍」と呼ばれる。
康和4年(1102年)、従三位に叙せられる。
「弁三位」と呼ばれたのは、父隆方が弁官であったためと思われる。
翌5年1月、鳥羽天皇の乳母を兼任した。
天仁元年(1108年)正三位に叙任。
娘の実子が翌年正式に乳母となると、母の光子は大蔵三位と呼ばれた。
天永3年(1112年)従二位に昇進した。
堀河・鳥羽両天皇の乳母として政界に隠然たる力を持ち、保安2年4月16日、62歳で薨去した。