藤原季経 (FUJIWARA no Suetsune)
藤原季経(ふじわら の すえつね、天承元年(1131年)-承久3年(1221年))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人。
正三位京職藤原顕輔の子。
正三位・宮内卿。
養子に藤原保季(実は藤原重家 (刑部卿)の子)がいる。
同母兄である重家とともに、父顕輔の寵愛を受けたとされる。
「千五百番歌合」などの判者となり、藤原定家と対立したことで知られている。
建仁元年(1201年)に出家、法名は蓮経。
家集『季経入道集』がある。