藤原実季 (FUJIWARA no Sanesue)
藤原 実季(ふじわら の さねすえ、長元8年(1035年) - 寛治5年12月24日 (旧暦)(1092年2月4日))は、平安時代の公卿。
藤原北家閑院流、権中納言藤原公成の長男。
母は淡路守藤原定佐の女。
正二位、大納言。
死後、太政大臣を追贈され、後閑院増太政大臣と呼ばれる。
子に藤原公実、藤原苡子らがある。
また、六条藤家の祖藤原顕季を猶子にしている。
永承元年(1046年)叙爵。
以後、左中将や検非違使別当を歴任する。
妹の藤原茂子(藤原能信養女)が後三条天皇の女御として白河天皇の生母となったことから後三条・白河の二代の新任篤く、後三条の院司別当を務める。
さらに、娘の苡子が堀河天皇に入内し鳥羽天皇の生母となったことによって、その権力基盤を盤石なものとした。
承保2年(1075年)に正二位、永保3年(1083年)に大納言にまで昇り、後世における閑院流の繁栄の礎を築いた。