藤原家保 (FUJIWARA no Ieyasu)

藤原 家保(ふじわら の いえやす、承暦4年(1080年) - 保延2年(1136年))は平安時代後期の公卿。
六条修理大夫藤原顕季の次男。

各国の受領を歴任し、長承3年(1134年)従三位参議に至る。
白河上皇院政期において比類なき信任を受け、白河院司受領、院庁別当を歴任。
家保の一家は、兄である藤原長実の系統を凌いで善勝寺流の嫡流の地位を占めるに至った。
鳥羽上皇院政期にも引き続き重用され、没後に跡を継いだ嫡男の家成は、鳥羽院政の中心を担う存在となった。
その子孫は羽林家の四条家として現代に至るまで続いている。

受領時代に培った経済力を生かし、証金剛院など多くの堂塔の造営にも貢献した。
邸宅は三条東洞院(京都市中京区)にあったと伝わる。

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