藤原忠房 (FUJIWARA no Tadafusa)
藤原 忠房(ふじわら の ただふさ、生年未詳 - 延長 (元号)6年(928年)12月1日 (旧暦))は、平安時代前期の廷臣、舞楽家、歌人。
藤原京家の出身で右京大夫藤原興嗣(あるいは興嗣の父藤原広敏)の子。
従四位・京職。
中古三十六歌仙の一人。
官歴は右兵衛佐、左少将等を歴任し、大和国国司、従四位上・山城国守、右京大夫。
一門には雅楽に秀でた者が多く、忠房も琵琶の名手であった父の興嗣よりその才を受け継ぎ、歌舞や管弦の分野において活躍した。
忠房が作曲し敦実親王が振付を施した胡蝶や延喜楽は、高麗楽の代表的な作品として知られる。
また歌人としての名声も高く、に開催された「日本紀竟宴和歌」や、の「宇多法皇春日行幸名所和歌」などに出詠するとともに、同じくの「京極御息所歌合」では判者を務めた。
中古三十六歌仙の一人として知られ、勅撰和歌集(『古今和歌集』、『後撰和歌集』、『拾遺和歌集』)に17首が入首している。