藤原有綱 (FUJIWARA no Aritsuna)
藤原 有綱(ふじわら の ありつな、生年不詳 - 永保2年(1082年)または応徳3年(1086年))は、平安時代後期の廷臣、学者、漢詩人。
藤原北家藤原真夏流(日野家流)の出身で、式部大輔・藤原実綱の子。
母は備後守源道成の女。
弟に藤原有俊、藤原有信、藤原有定らが、子に実義、資文らがある。
天喜元年(1053年)に対策に及第し、左衛門尉となる。
以後、蔵人、左少弁、中宮亮、大学頭、文章博士等々を歴任し、その学識の高さをもって知られた。
年号「応徳」の制定の勘申者でもあったことから、応徳年間のころには最も名声がある学者の一人であったという。
漢詩人や歌人としても名高く、漢詩は『本朝無題詩』や『別本和漢兼作集』、和歌は『万代集』『秋風集』などにその作が残っている。
承保2年(1075年)には自邸で歌合せを開催したことが記録に残されている。
その息女は源義家の室となり、源義国・源義忠兄弟の母となっている。