藤原朝子 (FUJIWARA no Asako)

藤原 朝子(ふじわら の あさこ/ともこ、生年不詳 - 永万2年1月10日 (旧暦)(1166年2月19日))は平安時代後期の女性。
藤原兼永の娘。
紀伊局(きいのつぼね)の名で知られている。

初め、鳥羽天皇の妃・藤原璋子に仕え、父が紀伊国国司であったことから紀伊局と呼ばれるようになった。
後に同じく待賢門院に仕えていた藤原通憲(信西)と結婚した。
その後、待賢門院の子である雅仁親王の乳母を務めた。
保延元年(1135年)には通憲との間に藤原成範を生んだ。

雅仁親王が後白河天皇として即位すると重んじられて、保元2年(1157年)には典侍に任命され、2年後には従二位に叙せられたため、「紀伊二位」とも呼ばれた。

[English Translation]