藤原温子 (FUJIWARA no Onshi)
藤原 温子(ふじわら の おんし(よしこ)、貞観 (日本)14年(872年) - 延喜7年6月8日 (旧暦)(907年7月20日)は第59代宇多天皇女御。
関白藤原基経女、母は操子女王。
(同母兄弟に藤原時平、藤原仲平、藤原忠平、異母妹に藤原穏子がいる) 第60代醍醐天皇養母。
別名東七条后、七条后。
仁和4年、宇多天皇に更衣 (女官)として入内。
同年女御宣下、正四位下。
寛平5年従三位。
同9年、宇多天皇譲位・醍醐天皇即位にあたり皇太夫人。
延喜5年に出家、同7年6月8日崩御。
享年36。
宇多天皇は即位前から既に藤原胤子や橘義子らの妃との間に子女をもうけていたが、阿衡事件などでこじれていた基経との関係改善のためにも、温子入内は不可欠であった。
入内後は関白の娘として基経没後も後宮で重きをなした。
一人娘均子内親王を産んだものの皇子には恵まれなかったため、胤子没後にその所生の東宮敦仁親王(のちの醍醐天皇)を猶子とした。
なお歌人の伊勢 (歌人)は温子に仕えたことで知られ、温子との贈答歌やその死を悼む哀悼歌を残した。
陵墓は宇治陵(京都府宇治市木幡中村)。