藤原為憲 (FUJIWARA no Tamenori)
藤原為憲(ふじわら の ためのり、生没年不詳)は藤原氏の始祖「藤原鎌足」から数えて11代目。
藤原南家・藤原武智麻呂の子孫。
常陸国介藤原維幾の子。
従五位・遠江国国司。
工藤大夫を号す。
工藤氏、伊藤氏、伊東氏、二階堂氏の元祖。
略歴
天慶2年(939年)、常陸国における平将門との紛争に敗れた為憲は、平貞盛と共に度々の将門の探索をかわしながら潜伏する。
天慶3年2月(940年3月~4月)、「新皇」を僭称した将門の追討に官軍大将の一人として貞盛・藤原秀郷と協力して将門と戦い征伐に成功し、先に将門に襲撃され抑留されていた父の維幾を救援した。
将門追討の恩賞として木工助(宮内省の宮殿造営職である木工寮の次官)に就任。
藤原の藤と木工の工を合わせ工藤氏姓を興す。
家紋「庵木瓜」の創始者。
伊豆国・駿河国・甲斐国・遠江権守を歴任。
家系
父:藤原維幾
- 常陸介・讃岐国介
母:高望王の娘
生母不明
男子:藤原時輔
男子:藤原時理
為憲は平将門・平貞盛の従兄弟にあたり、藤原氏であるとともに桓武平氏の血縁でもある。