藤原親通 (FUJIWARA no Chikamichi)
藤原 親通(ふじわら の ちかみち、生没年不詳)は、平安時代後期の公家。
藤原北家藤原為光流。
父は藤原伊信、子に親頼・親方・藤原親盛 (下総守)がある。
山城守を経て、大治 (日本)2年(1127年)下野守、その後下総守。
下総守在任中の保延2年(1136年)には在地領主千葉常重から相馬御厨や立花荘を召し上げたという。
坂東に勢力を築き、坂東平氏の庶流である伊勢平氏が姻戚関係を持って有力な武士団を形成、保元の乱・平治の乱を制し栄華を誇ったが、治承・寿永の乱に敗れて滅亡した。
治承4年(1180年)源頼朝に敗れた藤原親政は孫、平資盛はひ孫にあたる。