藤原長輔 (FUJIWARA no Nagasuke)

藤原 長輔(ふじわら の ながすけ、長治元年(1104年) - 久寿3年1月14日 (旧暦)(1156年2月6日))は、平安時代末期の公卿。
権中納言・贈太政大臣藤原長実の三男。

永久 (元号)3年(1115年)、12歳で甲斐守。
元永3年(1120年)左兵衛佐、保安 (元号)元年(1120年)丹後守、従五位上、天治3年(1126年)従四位上、長承3年(1134年)正四位下となるが、異母妹藤原得子が鳥羽上皇の寵愛を受けたことに怒った崇徳天皇によって昇殿を止められる。
保延6年(1140年)昇殿を許される。
同7年(1141年)右馬頭、久安4年(1148年)右京大夫、仁平3年(1153年)備後介、同4年(1154年)内蔵頭、久寿元年(1154年)得子の子近衛天皇の下で従三位。

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