蘇我連子 (SOGA no Murajiko)
蘇我 連子(そがのむらじこ、男性、推古天皇19年(611年)?-天智天皇3年(664年))は飛鳥時代の日本の豪族。
氏は蘇我氏。
「連子」であるが男性である(当時は「子」が男女問わずに用いられた)。
父は蘇我倉麻呂、あるいは蘇我雄正(『公卿補任』)。
兄弟に蘇我倉山田石川麻呂、蘇我日向、蘇我赤兄、蘇我果安がいる。
子は蘇我安麻呂、蘇我娼子(藤原不比等妻)。
名前は単に「連」(『日本書紀』)、また「武羅自」(『扶桑略記』)とも書かれる。
『日本書紀』「天智天皇紀」3年5月条に死亡記事が見られるのが同時代史料に見える連子の最初で最後の記述である。
このときの官位は「大紫」で「蘇我連大臣薨」と書かれていることから斉明天皇や天智天皇の下で大臣を務めていたことがわかる。
『扶桑略記』によると、この時「右大臣」であったとされる。
おそらく巨勢徳太(斉明天皇4年(658年)に死去)、大伴長徳のどちらかの後任となったのであろう。
しかし、大臣としての具体的な事績は全く不明。
没した月には「5月説」(『日本書紀』)と「3月説」(『扶桑略記』)がある。