西園寺公満 (SAIONJI Kinmitsu)

西園寺公満(さいおんじ きんみつ、元和 (日本)8年(1622年)‐慶安4年7月20日 (旧暦)(1651年9月4日))は、江戸時代前期の公卿。
後水尾天皇(108代)、明正天皇(109代)、後光明天皇(110代)の三帝に仕え、官位は従三位中納言まで昇る。
父は左大臣西園寺実晴。
母は細川忠隆の娘徳姫。
室は棚倉藩主松平康重の娘。
子に近衛府西園寺実尚、中納言久我通名室がいる。

寛永元年(1624年)に叙爵。
以降清華家当主として速いスピードで累進して、寛永16年(1639年)には従三位となり公卿に列する。
寛永18年(1641年)権中納言、正保4年(1644年)には踏歌節会外弁となる。
慶安2年(1649年)に任職を辞し、慶安4年(1651年)には三十歳の若さで薨去した。

[English Translation]