西園寺公益 (SAIONJI Kinmasu)
西園寺公益(さいおんじ きんます、天正10年4月20日 (旧暦)(1582年5月22日)‐寛永17年2月17日 (旧暦)(1640年4月8日))は、安土桃山時代から江戸時代前期の公卿。
父は右大臣西園寺実益。
母は大納言久我晴通の娘。
子に左大臣西園寺実晴、左近衛権中将大宮季光(大宮家を再興)がいる。
天正11年(1583年)に叙爵。
しかし清華家当主にしてはやや官位の上昇が遅く、慶長18年(1613年)にようやく従三位となり公卿に列している。
その後はややスピードを増し、中納言・踏歌節会外弁などをへて、元和 (日本)3年(1617年)には大納言となっている。
しかしその後、またしばらく停滞して寛永6年(1629年)になってようやく神宮伝奏に任じられた。
寛永8年(1631年)に内大臣となったが、翌年には辞した。
寛永12年(1635年)に従一位を授与される。