西園寺公遂 (SAIONJI Kinsui)
西園寺 公遂(さいおんじ きんすい、寛文3年2月23日 (旧暦)(1663年4月1日) - 延宝6年6月10日 (旧暦)(1678年7月28日))は、江戸時代前期の公卿。
主に霊元天皇(112代)の代の朝廷に仕え、官位は従三位近衛府まで昇った。
父は左大臣西園寺実晴。
母は不詳。
実晴の子である西園寺公満と西園寺公宣、公満の子である西園寺実尚が早世や若くして辞職した
そのために、彼が西園寺家の家督を継ぐこととなった。
寛文11年(1671年)に叙爵。
以降累進して延宝5年(1677年)に従三位となり公卿に列したが、この翌年に薨去している。
16歳の若さだった。
西園寺家には相続人がいなくなったので、やむなく関白鷹司房輔の次男の西園寺実輔を養子縁組に迎えて西園寺家を相続させることとなった。
ちなみにこの実輔も早世する。