西川如見 (NISHIKAWA Joken)

西川 如見(にしかわ じょけん、慶安元年(1648年) - 享保9年9月24日 (旧暦)(1724年11月9日))は、江戸時代中期の天文学者。
父は同じく天文学者の西川忠益。
母は石山宗林の娘。
肥前国長崎生まれ。
名は、忠英、通称は次郎右衛門。
別名は恕軒、恕見。
居号は求林斎、金梅庵、淵梅軒。

略歴
和漢学を南部草寿に学び、天文暦算を林吉右衛門門下の小林義信に学び、元禄10年(1697年)に隠居して学事に専念した。
天文・地理学上の著述で有名、ヨーロッパ天文学説の特徴を十分承知しながら、中国天文学説を主とし、享保3年(1718年)に江戸に下り、翌享保4年(1719年)に徳川吉宗から天文に関する下問を受けた後暫く江戸に滞在し、長崎に帰った。
享保9年(1724年)に死去した。
享年77。

息子の西川正休は延享3年(1746年)または宝暦の改暦の際(吉宗が没した1751年)に天文方に任命されている(Wikipedia「天文方」→「天文方の各家」→「西川家」では「1746年」としている)。

墓は長崎長照寺照山。

著書
華夷通商考
華夷通商考天義論
両儀集説教童暦談
運気指南役後篇
町人嚢
町人底払
百姓嚢
長崎夜話草
日本水土考
水土解弁

[English Translation]