角倉素庵 (SUMINOKURA Soan)
角倉素庵(すみのくら そあん、元亀2年6月5日 (旧暦)(1571年6月27日) - 寛永9年6月22日 (旧暦)(1632年8月7日))は、江戸時代初期の土木事業家、書家、貿易商。
能書家で洛下の三筆の一人。
角倉了以の長男。
名は与一、諱は玄之、貞順、光昌。
儒学を藤原惺窩に、書を本阿弥光悦に学び、書道の角倉流を創設。
父親の跡を継いで貿易業や土木事業にも携わる。
家業を子供に譲って隠居した後は、古活字の嵯峨本(角倉本)を刊行した。