賀茂光栄 (KAMO no Mitsuyoshi)
賀茂光栄(かも の みつよし、天慶2年(939年) - 長和4年6月7日 (旧暦)(1015年6月25日))は、平安時代の陰陽師、陰陽家。
賀茂保憲の長男、賀茂忠行は祖父にあたる。
祖父・父に同じく抜群の腕を持つ陰陽師であったという。
父・保憲は後に家学であった陰陽道のうち暦道を光栄に、天文道を愛弟子(もしくは弟弟子)の安倍晴明に譲り、ここに陰陽道の二大宗家「安賀両家」が成立する。
光栄はなぜ賀茂氏の家学である陰陽道を分割してまで安倍氏に宗家の地位を与えたのか疑問に思っていたらしく、晴明と争論したという(「続古事談」)。
暦博士・天文博士・大炊頭・主計頭などを歴任、一説には陰陽允を歴任したというが可能性は低い。
造暦宣旨、従四位上に叙せられた。
子孫
賀茂守道:光栄の嫡男。
暦博士。