赤沢長経 (AKAZAWA Nagatsune)
赤沢 長経(あかざわ ながつね)は、戦国時代 (日本)(室町時代後期)の武将。
細川氏の重臣。
細川政元に仕えた重臣・赤沢朝経の養子である。
養父・朝経と共に政元に仕え、永正4年(1506年)6月には政元の命令により養父と共に丹後国の一色義有を攻めた。
ところが戦いの最中に主君の細川政元が細川澄之派の重臣・薬師寺長忠らによって暗殺されてしまう。
一色義有や丹後国人衆の反撃を受けて朝経は自害したが、長経は奇跡的に逃げ延びて細川澄元の家臣として仕えることとなった。
8月に澄元が京都奪還を目指して澄之を攻めたときには先陣を務めて武功を挙げた。
さらに澄元の命令で大和国に侵攻し、筒井氏らの大和国人衆を破った。
永正5年(1508年)、主君の澄元と細川高国が細川家の家督をめぐって抗争すると、長経も澄元派として高国派の畠山尚順と河内国で戦ったが、敗れて逃走する。
しかし大和初瀬で捕縛され、8月2日に河内で斬首となった。