近江毛野 (OMI no Kenu)
近江 毛野(おうみ の けぬ、生年不詳 - 継体天皇24年(530年))は、継体天皇朝で活躍した豪族、将軍。
カバネ(カバネ)は臣(おみ)。
近江国の出身。
日本書紀では「近江毛野臣」の名で記される。
継体21年(527年)、新羅によって奪われた南加羅・喙己呑などの諸国を奪還すべく任那への赴任を命じられる。
しかし、その途中に筑紫国国造の磐井の乱が新羅と組んで毛野の進軍を妨害しようとしたため、渡海できなかった。
このとき、磐井は毛野に対して下記を詰問したとされる。
「昔は吾が伴として、肩摩り肘触りつつ、共器にして同食ひき」(かつて同じ飯を食った仲間がなぜ命令するか)
ただし、近江の豪族・毛野と筑紫の豪族・磐井との間に、それ以前に交流があったかどうかは不明である。
結局、物部麁鹿火によって磐井の乱が平定された後、翌年の528年に、毛野はようやく任那の安羅に赴任し、新羅との間で領土交渉を行った。
しかし、毛野は驕慢な振る舞いが多く、新羅・百済両国王を召し出そうとしたが、両者が応じず失敗。
逆に両国から攻撃される始末であった。
事態を重く見た朝廷から帰還の命令が出されたが、これを無視。
530年、再び召還されて応じるも、その途中対馬で病死した。
故郷の近江で葬られる。