近衛尚通 (KONOE Hisamichi)
近衛 尚通(このえ ひさみち、文明 (日本)4年10月12日 (旧暦)(1472年11月12日)- 天文 (元号)13年8月26日 (旧暦)(1544年9月13日))は、戦国時代 (日本)の公卿、関白。
父は近衛政家。
妻は徳大寺実淳の娘・維子。
子に久我晴通、近衛稙家、大覚寺義俊、 慶寿院(足利義晴室)、近衛殿(北条氏綱室)ら。
1482年(文明14年)元服、1490年(延徳2年)に右大臣に就任、以降は関白に二度つく。
その後1514年(永正11年)太政大臣、1519年(永正16年)准后になった。
1533年(天文2年)に出家し、大証と号した。
1544年(天文13年)死去。
日記「後法成寺関白記」を残した。
官職位階履歴
1483年(文明15年)従三位。
1490年(延徳2年)右大臣。
1493年(明応2年)関白に就任(~1497年)、正二位。
1495年(明応4年)従一位。
1496年(明応5年)左大臣。
1513年(永正10年)再度関白に就任(~1514年)。
1514年(永正11年)太政大臣に叙任。