道嶋嶋足 (MICHISHIMA no Shimatari)

道嶋 嶋足(みちしま の しまたり、生年不詳 - 延暦2年(783年)1月8日)は奈良時代の武人。
はじめは丸子嶋足、次いで牡鹿嶋足と姓を改めた。

陸奥国(後の陸前国)牡鹿郡の出身。
容貌雄壮で武事に通じ騎射を善くした。

天平勝宝5年(753年)大初位下だった丸子嶋足は牡鹿連の姓を賜る。
天平宝字年間に嶋足は授刀衛将曹に任じられる。

天平宝字8年(764年)9月、藤原仲麻呂の子の藤原訓儒麻呂が勅使を襲撃して玉璽と駅鈴を奪おうとした。
嶋足は授刀衛少尉坂上苅田麻呂とともに勅命を受けて馳せかけて、訓儒麻呂を射殺した(藤原仲麻呂の乱)。
この功により従四位下勳二等を授かり、宿禰姓を賜った。
授刀少将兼相模国守、近衛府員外中将に任じられる。
道嶋と本姓を改める。

天平神護2年(766年)正四位上に進み、その後、内廐頭、下総国、播磨国などの国司を歴任した。

陸奥在地のいわゆる蝦夷系豪族で中央官僚として立身できたのは嶋足だけである。

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