酒呑童子 (Shuten Doji)
酒呑童子(しゅてんどうじ)は、京都市と丹波国の国境の大枝(老の坂)に住んでいたとされる鬼の頭領(盗賊であったとも)である。
他の呼び名として、酒顛童子、酒天童子、朱点童子と書くこともある。
室町時代の物語を集めた『御伽草子』などによると、酒呑童子の姿は、顔は薄赤く、髪は短くて乱れた赤毛、背丈が6m以上で角が5本、目が15個もあったといわれる。
彼が本拠とした大枝山では龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼達を部下にしていたという。
様々な出生の伝説
酒呑童子は、一説では越後国の蒲原郡中村で誕生したと伝えられているが、伊吹山の麓で、日本書紀などで有名な伝説の大蛇、八岐大蛇が、スサノオとの戦いに敗れ、出雲国から近江へと逃げ、そこで富豪の娘との間で子を作ったといわれ、その子供が酒呑童子という説もある。
その証拠に、父子ともども無類の酒好きであることが挙げられる。
他にも、奈良県の白毫寺で夜な夜な人を襲って食べていた稚児が後の酒呑童子だとする説もある。
越後国の酒呑童子出生伝説
伝教法師(最澄)や弘法大師(空海)が活躍した平安初期(8世紀)に越後国で生まれた彼は、国上寺(新潟県燕市)の稚児となった(国上山麓には彼が通ったと伝えられる「稚児道」が残る)。
12, 3歳でありながら、絶世の美少年であったため、多くの女性に恋されたが全て断り、彼に言い寄った女性は恋煩いで皆死んでしまった。
そこで女性たちから貰った恋文を焼いてしまったところ、想いを告げられなかった女性の恨みによって、恋文を燃やしたときに出た煙にまかれ、鬼になったという。
そして鬼となった彼は、本州を中心に各地の山々を転々とした後に、大江山に棲みついたという。
一説では越後国の鍛冶屋の息子として産まれ、母の胎内で16ヶ月を過ごしており、産まれてすぐに歩くことができて5~6歳程度の言葉を話し、4歳の頃には16歳程度の知能と体力を身につけ、気性の荒さもさることながら、その異常な才覚により周囲から「鬼っ子」と疎まれていたという。
『前太平記』によればその後、6歳にして母親に捨てられ、各地を流浪して鬼への道を歩んでいったという。
伊吹山の酒呑童子出生伝説
大蛇の八岐大蛇と人間の娘との間で生まれた彼は、若くして比叡山に稚児として入って修行することとなった。
しかし仏法で禁じられている飲酒をし、しかも大酒呑みであったために皆から嫌われていた。
ある日、祭礼の時に被った仮装用の鬼の面が、祭礼が終了して彼が取り外そうとしたが、顔に吸い付いて取ることができず、やむなく山奥に入って鬼としての生活を始めるようになった。
そして茨木童子と出会い、彼と共に京都を目指すようになったといわれている。
大枝町の酒呑童子伝説
平安時代から鎌倉時代に掛けて都を荒らした不法ものとしての“鬼”は、現在の京都市西京区、右京区にまたがる大枝町(おおえちょう)(京都市洛西地区)及び隣接する亀岡市篠町王子(大江山という小字がある)に本拠があったとされ、大枝山(大江山)と呼んだ。
ここは古くから京都と外界の境界線であると考えられており、通常は酒呑童子が住んだ大江山をこちらに当てる。
茨木童子との関係
酒呑童子とともに京都を荒らした大鬼、茨木童子だが、実は彼らの関係も様々な諸説がある。
その諸説の中に、実は茨木童子は“男の鬼ではなく、女の鬼だった”という説があり、または酒呑童子の息子、はては彼の恋人だったという説も伝わっている。
そして、しばらくしてから酒呑童子と茨木童子は互いの存在を知り、共に都を目指すようになったといわれている。
日本三大悪妖怪としての酒呑童子
酒呑童子は日本最強の鬼と言ってよく、玉藻前で有名な白面金毛九尾の狐と、恨みによって大天狗と化した崇徳天皇と並んで、日本三大悪妖怪と謳われるようになった。
そして、数ある妖怪の中でも、日本で有名な妖怪としてでも知られるようになった。
京都に上った酒呑童子は、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従え、大江山を拠点として、しばしば京都に出現し、若い貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、刀で切って生のまま喰ったりしたという。
あまりにも悪行を働くので帝の命により摂津源氏の源頼光と嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とする頼光四天王により討伐隊が結成された。
姫君の血の酒や人肉をともに食べ安心させた上、酒盛りの最中に頼光が神より兜とともにもらった「神便鬼毒酒」という酒を酒呑童子に飲ませて体が動かなくされたうえで寝首を掻かれ成敗された。
しかし首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いていたといわれている。
頼光たちは討ち取った首を京へ持ち帰ったが、老ノ坂で道端の地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、それきり首はその場から動かなくなってしまった。
そのため、一同はその地に首を埋葬した。
また一説では童子は死に際に今までの罪を悔い、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを望んだため、大明神として祀られたともいう。
これが現在でも老ノ坂峠にある首塚大明神で、伝承の通り首から上の病気に霊験あらたかとされている。
また京都府の成相寺には、この神便鬼毒酒に用いたとされる酒徳利と杯が所蔵されている。
酒呑童子という名が出る最古のものは重要文化財となっている「大江山酒天童子絵巻」(逸翁美術館蔵)であるが、この内容は上記の酒呑童子のイメージとはかなり異なっている。
まず綴りが酒「天」童子であり、童子は一種の土着の有力者・鬼神のように描かれていることがうかがえる。
また童子は「比叡山を先祖代々の所領としていたが、伝教大師に追い出され大江山にやってきた」とも述べている。
また酒で動きを封じられ、ある意味だまし討ちをしてきた頼光らに対して童子は「鬼に横道はない」と頼光を激しくののしったとも言われる。
映画
酒呑童子、大江山の鬼退治を題材にした映画は、戦前・戦後と数本製作されている。
中でも、1960年に大映京都で製作された『大江山酒天童子』は、当時の大映オールスターキャストの豪華超大作となっている。
大江山酒天童子(大映 1960年)監督田中徳三 出演長谷川一夫、市川雷蔵、勝新太郎・他
漫画
手天童子
永井豪による伝奇ロマンコミック。
アニメ化、小説化もされた。
また、永井豪は酒呑童子伝説の原型、酒呑童子のモデルとなった人物、事件の考証を行っており、『闇の宴 酒天童子異聞』として発表している。
THE MOMOTAROH
にわのまことが週刊少年ジャンプで連載していた漫画。
イワン・シュテンドルフと名乗って登場する。
詳細はTHE MOMOTAROHオニ一族を参照。
この他にも、ジャンプでは梅澤春人が『酒呑☆ドージ』という「酒呑童子をモチーフとした漫画」を連載していた。
小説
『封殺鬼』シリーズ
霜島ケイの小説。
酒呑童子(鬼同丸、戸倉聖)は安部清明により改心させられ、雷電(土師高遠、志島弓生)と共に魔を封じている。
容姿は普通の人間で、見た目10代末から20代前半。
性格は猪突猛進で、考えるより行動派。
相棒の雷電とは対照的である。
しかし自分のことより他人を大切にし、とても人懐っこい。
関西弁で話す。
アニメ
お伽草子_(アニメ)
日本テレビ系アニメ。
酒呑童子は朝廷への反乱を画策する熊襲の族長という設定で登場した。
大陸との交易で武器をそろえてひそかに九州から遠征、大江山に砦を築き投石器で平安京を攻撃したが実際は黒幕の安倍晴明に使い捨ての駒として利用されていた。
鎧伝サムライトルーパー
名古屋テレビ放送・サンライズ (アニメ制作会社)制作のテレビ朝日系アニメ。
敵の総大将・阿羅醐(アラゴ)直属の四大魔将の一人「鬼魔将・朱天童子」として登場。
詳細は鎧伝サムライトルーパー四大魔将を参照。
キン肉マン
劇場版第5作『キン肉マン 晴れ姿!正義超人』に悪魔将軍の先祖・朱天童子として登場。
江戸時代にタイムスリップしたキン肉マンと対決した。
ゲーム
O・TO・GI 〜御伽〜
Xboxのアクションゲーム。
主人公は源頼光であり、酒呑童子はそのライバルとして設定されている。
また、続編の『O・TO・GI ~百鬼討伐絵巻~』(こちらは、源頼光に加えて安部晴明と頼光四天王が主人公となっている)にもゲスト出演を果たしている。
桃太郎伝説
コンピュータRPG。
酒呑童子はボスキャラの1体として登場する。
この作品や続編の新桃太郎伝説では閻魔大王に忠誠をちかっており、配下の四天王を始め多くの鬼達から信頼を寄せられており、小細工なしの正々堂々とした戦いを挑むなど従来の悪役というよりも敵役の様なキャラクターになっている。
なおこの作品では茨木童子も登場しているが、こちらでは酒呑童子の直属の配下ではなくただのザコキャラとして登場する。
一部作品では逆に、茨木童子がボスキャラの1体として、酒呑童子がただのザコキャラとして登場する。
天外魔境II 卍MARU
コンピュータRPGPCエンジン/プレイステーション2/ゲームキューブ)。
火の一族の末裔の娘「絹」の父として登場する。
同作では、根の一族の吹雪御前率いる一団に大江山を攻撃され殺されるが、エンディングで生き返り、そこで初めて登場する。
俺の屍を越えてゆけ
コンピュータRPG。
朱点童子の名で登場、オープニングムービーにおいて初代主人公の両親を惨殺し、主人公に人との間に子孫を残せない「断種の呪い」と寿命が極端に短くなる「短命の呪い」をかける。
付記
上記、「越後国の酒呑童子出生伝説」にある新潟県燕市では、よさこい風演舞チーム「酒呑童子」が結成されており、同市の秋期イベント「酒呑童子行列」等にて同伝説をコンセプトにした演舞を披露している。