鎌田光政 (KAMATA Mitsumasa)
鎌田 光政(かまた みつまさ、生年不詳 - 元暦2年2月19日 (旧暦)(1185年3月23日))は、平安時代末期の武将。
通称は藤次。
源義経の父・源義朝の乳兄弟である鎌田政清の子。
兄は鎌田 盛政(かまた もりまさ)で通称藤太。
『源平盛衰記』では兄盛政と共に義経四天王の1人として活躍し、屋島の戦いにて、射落畠で平教経と戦い討死する。
盛政は一ノ谷の戦いで討ち死にしている。
『義経記』には政清の子として鎌田 正近(かまた まさちか)通称三郎が登場する。
僧となって正門坊と名乗り、源義経に出生の秘密を告げる。
なお、鎌田盛政・光政兄弟の存在が書かれているのは軍記物語『源平盛衰記』のみであり、『平家物語』や史料である『吾妻鏡』、系図などでは見られない。
正近は義経記のみに登場する。
碑が香川県高松市牟礼町にある。