關三十郎 (SEKI Sanjuro)

關 三十郞(せき さんじゅうろう、新字体:関 三十郎)は歌舞伎の名跡。
屋号は初代と二代目が播磨屋 (歌舞伎)、以後が尾張屋。

關三十郎 (初代)
- 和実を得意とした。

關三十郎 (2代目)
- 初代の養子または実子。
初代同様に和実を得意とした。
最初は嵐吉三郎 (2代目)の門で嵐宗太郎を名乗った。
1802年に中村歌右衛門 (3代目)の門で中村歌助と改名、1805年11月二代目關三十郎襲名。
俳名は歌山。
屋号は播磨屋、尾張屋。

關三十郎 (3代目)
- 舞踊藤間流 藤間勘兵衛の子。

關三十郎 (4代目)
- 三代目の養子。
幼名を花助という、後に關花助となる。
1864年1月6代目市川八百蔵襲名、1873年3月四代目關三十郎襲名。
俳名は市川中車、黄雀、歌山。
屋号は尾張屋。

關三十郎 (5代目)
- 四代目の子。
幼名は四代目と同じ花助。
1882年6月二代目關花助を襲名、1907年3月五代目關三十郎を襲名。
俳名は歌山。
屋号は尾張屋。

關三十郎 (6代目)
- 五代目の甥で、のち養子。
屋号は尾張屋。
1928年3月六代目関花助、1941年6月六代目三十郎襲名。
戦後は関三十郎劇団を結成、地方で活躍。

[English Translation]